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人生を整える 禅的考え方

曹洞宗徳雄山建功寺住職 枡野俊明さんの「人生を整える禅的考え方」を読了。

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禅とは何か、禅の考え方などを禅語と呼ばれる、仏教の言葉を用いて、その解説を伝えている本。

これまでの考え方やふるまいを改めさせてくれるような言葉があり、いかに欲を持っていたか、叉、その欲には一時的には満たされても真に満たされる事は無い為、直ぐにそれ以上のものを求めてしまうこと、もっと大事なことはシンプルなものと考えさせられると同時に気持ちの軽くなれる内容でした。

 

【本文より印象に残った言葉】

※t)は感想

 

①「授かっている命を蔑ろにすることはできません。生かされている自分をいい加減
生きることなどできないでしょう。一日一日を、いや、一瞬一瞬を、一生懸命に生きていくこと以外、命に、生に、応える方法はないのです悟りに繋がる禅的生き方がまさにそれです。」

t)なんとなく過ごしていてはダメだ、きっとやりたくてもやれない人達もいる。自分ができる事や、やってみたい事、目的に向けて行動しよう。このブログスタートもその一つ。



「即今、当処、自己」この禅語が意味しているのは、いまその瞬間に、その場所で、自分がなすべきことをやっていくことこそが大切なのだ、ということです。」


「調身」「調息」「調心」
姿勢をととのえる、呼吸をととのえる、心をととのえる、という意味。
姿勢、呼吸、心の三つは深くかかわっている。
姿勢をととのえることで呼吸がととのい、ふたつがととのうと、心もととのっていくのです。

t)これならすぐできる!まずは姿勢を気にしてみよう。

 


④「お賽銭を投げるのは、執着を手放すこと
何かを念じるときにはお賽銭を投げます。
これを喜捨といいます。喜んで捨てる。
ちょっと考えると、自分のお金を手放すことと喜びは結びつかないような気がするかもしれません。
しかし、お賽銭を投げることによって手放すのはお金だけではありません。お金に対する執着も同時に手放しているのです。人がつかまりやすい煩悩である執着が一つ断ちきれるのですから、これは喜びといっていいのではありませんか。」

 

t)お賽銭に執着を断つ意味があるとは知らなかった。勉強になった。

 


⑤「上がってくる感情を抑え込むのは、禅的生き方に反します。
しかし感情をコントロールすることはできます。コントロールするとは、感情を引きずらないということです。喜びや怒り、哀しみや楽しさ、といった思いが心をとらえても、すぐに平静な心に戻ることができる。感情をコントロールするというのは、そういうことでしょう。」

「禅では感情を「おなかにとどめて、頭にあげない」
怒りの感情が湧いたら、丹田呼吸です。深く、ゆっくり、数回呼吸をおこなう。それで気持ちは鎮まってきます。」

「怒りの感情がでても、反撃しない、さらりと受け流す。こちらが反撃するから、相手はさらに嵩にかかってくる。」

 

t)なかなかできないな。でもなれるように努力しよう怒りが沸いたら先ずは呼吸を整えてみよう。試してみよう。売り言葉に買い言葉にどうしてもなっちゃうな。


⑥「「人は昨日にこだわり、明日を夢みて、今日を忘れる」
これも「いま」を大切にしなさい、と教えるものです。いつまでも感情を引きずる
ことも、昨日にこだわっている姿でしょう。命が動いている「いま」の心が忘れられているのです。
いくら嬉しかったとしても、どんなに哀しかったとしても、どれほど楽しかったと
しても、それは昨日、つまり、過去のことなのです。それにこだわっていたら、心がそこにとどまり、いまなすべきことが見えなくなります。
いまなすべきことは、いまの心でなければ、見えてきません。いつでもいまの心を
はたらかせ、なすべきことをきちんと見据えてしっかりとやっていく。それが禅です。」


「禅は心配ごとや不安に「実体はない」ととらえます。心配したり、不安になったり
するのは、ほとんど将来のことに関してでしょう。
しから、将来それが確実に起きると決まっているわけでもありません。未来予測など、到底人知のおよぶところではないのです。」

「起きるかもしれない」(そうなるかもしれないし)
起きないかもしれない(そうならないかもしれない)、ということだけ。結局、まるでわからない。
雲をつかむような話です。まさに、心配ごとや不安のタネになっていることに実体は
ないのです」

どうにもならないことは「放っておく」のが禅です。それを放っておかないから、心配ごとや不安が心に棲みついてしまうのです。
人ができることは「いま」という現実にしかありません。

現実にできることを一生懸命やっていれば、心配ごとや不安が入り込む隙がなくなります。さらにいえば、そのことがいい結果に繋がる可能性はけっして低くはないと思うのです。」


「どうにもならないことを思いわずらうのは、時間を無駄に使うことにも等しいので
す。目を向けるべきはできること、やるべきことです。
「放っておくべきこと」と「やるべきこと」「できること」を見きわめる
それも禅の手法だといえます。」


t)見えない先を見て心配してもしょうがない。やはり今の一瞬一瞬をしっかり一生 

  懸命生きていかないと。不安は目に見えない人に具体的に説明できない漠然とした

  ものそれに真剣に悩んでもしかたがないな。

 

 

⑦「三毒
「貪」「瞋」「癡」
「貪」(貪欲)は「貪り」貪りとは必要以上に求める心です。いまあるもので十分であるのに、もっと欲しいもっと手に入れたい、というのがそれ。これは、いったんとらわられると際限なくふくらんでいきます。
「瞋」(瞋恚)は「怒り」、怒りは欲しいものが手に入らなっかたり、ものごとが思うようにならなかったりしたときにあらわれます。人やものにあたる、誰かに怨みや憎しみを向ける、といった行動に繋がります。
「癡」(愚痴)は「愚かさ」です。愚かさとは、ものごとの正しい判断ができないということです。真理が見えない、真理に対して無知である、といういい方もできます。
人は貪瞋癡にとらわれやすいのです。欲しいという心は随処で顔を覗かせますし、怒りを抑えられないこともあるでしょう。ものごとの判断を誤ることも少なくないかもしれません。」

t)欲がなくなれば三毒の感情も表わさずにできるのでしょうが、どうしても物を欲

  する欲求はでてしまう。ただ抑えることはできる。先ずはそこからだ。

 

⑧「「白雲自在」(はくうんじざい)
空に浮かぶ白雲は風が吹くままに、東に西へ、また南に北へと自在に流れます。かたちも風にょってどのようにでも変わっていく。しかし、どんなに千変万化しても、
雲であるというその本分は変わることがありません。
これが禅の自由です。何にもとらわれず、こだわらず、自在に変化しながら、自分
を失うことがない。そこに真の自由があります。
自分を失わないということは、本分をまっとうすることといっていいと思います。
自由は「自(分)」に「由(る)」のですから、自分を拠り所にすること、すなわち、
しっかり地に足をつけ、本分をまっとうしていることが、自由であることに欠かせな
い条件でしょう。

 

t)なんだが深い!周りの影響に合わせて変化はするが本文(自分)は変わることがな

  い。自分の考えに固執しすぎてもいけないし、流されすぎて自分を失ってもいけな

  い。

 



⑨「「善因善果 悪因悪果」(ぜんいんぜんかあくいんあっか)
意味は因果応報と同じです。人は思いもよらない結果になったとき、こんなはずではなかった」と嘆いたりしますが、そんなことはあり得ないのです。その結果になったのは、そうなるように行動したから、すなわち、そうなる原因をみずからつくったからです。
では、悪い結果に繋がらないようにするにはどうしたらいいのでしょうか。
「三業をととのえる」
禅(仏教)はそう説きます。三業とは身業、ロ業、意業のことです。
身業は身体にあらわれるすべての動作、所作のことです。日常の行動、立ち居振る
まいがそれです。それをととのえるとは、姿勢を正し、振るまいを美しくする、とい
うことはもちろん、人のために自分の身体を惜しみなく使うということも含まれます。
逆に慎むべきこととしては、三つの悪業があります。偸盗(盗むこと)
、邪淫(不道徳な性の交わりをもつこと)、殺生(殺すこと)の三つです。
口業は「語業」ともいい、言葉による作業、つまり、言葉かけ、言葉遣い、発言の
ことです。相手を思いやり、心に寄り添った、あたたかい言葉を使う、ということが口業をととのえることです。」


意業は意識、心のはたらきのことです。偏見や先入観をもたず、ものごとを正しく見ること考えることが意業をととのえることです。」

 

t)身業、口業は自分が少しきにしていれば出来る事。すぐに始めよう。意業は意味を

  しっかり理解しないと。自分がどんな偏見や先入観を持っているかも見えていない

  かも。



無財の七施
一 眼施(がんせ)
二 和顔施(わがんせ)
三 言辞施(ごんじせ)
四 身施(しんせ)
五 心施(しんせ)
六 床座施(しょうざせ)
七 房舎施(ぼうじゃせ)


眼施は、人に対してやさしいまなざしで接することです。「目力」という言葉もあ
るように、まなざしが相手に与える印象は強いのです。やさしいまなざしは何より相
手を安心させますし、心を開きやすくもなります。

和顔施は、和やかな顔、にこやかな表情で人に接することです。これも相手の安心
感に繋がりますし、緊張感を解きほぐすことにもなります。笑顔は相手の笑顔を引き
だすことにもなるでしょう。

言辞施は、あたたかい言葉、思いやりのある言葉で人に接することです。言葉はコ
ミュニケーションの重要なツールです。言葉一つで相手を励ましたり、癒やしたり、
勇気づけたりすることができる一方、相手を傷つけたり、苦しめたり、悲しませたりすることにもなります。諸刃の剣であるだけに、言辞施は大切なのです。

身施は、自分の身体を使って人のために何かをすることです。何かにつけて「自分
が、自分が」と自己主張することが多いのがこの時代です。行動も自分のためだけに
なりがちですから、身施を心がけることが必要です。

心施は、人のために心を配る、人に心を寄せていくということです。相手とともに
喜び、悲しみを分かち合う。それほどすばらしい心の交流はありません。それを相手
が感謝をもって受けとめてくれたら、心は幸せ感で満ち満ちます。

床座施は、席や場所を譲ることです。「お先にどうぞ」「こちらにどうぞ」という
声かけは、周囲の空気を和やかなものにします。自分がいる席や場所を "手放す"の
は難しいものですが、それだけにそれができる人は輝くのです。

房舎施は、自分の家を提供することです四国八十八か所をめぐるお遍路さんに宿
を提供したり、招き入れてお茶を振るまったりする「お接待」という習慣はいまも続
いています。房舎施の実践でしょう。」

 

t)相手を想い優しさをもって人と接していくことが全てにつながることなんだと思 

  う。たまに読み返し忘れないようにしないと。